この季節になると必ず思い出す
62年前は小学1年だった
私の仕事は裏の田んぼにいっていなご取り
それと芋の葉っぱやその茎取り
そう、晩ご飯の材料を集めにいくのだ
ご飯といっても麦のなかにたくさんの大根がはいっていたり
四角に切った芋が入っているのだ。いや芋の周りに麦が付いている
と言ったほうがいいかも
昼はいつも芋パンだった
芋を切って乾燥させそれを粉に引いて芋なべに入れてふかすのだ
真っ黒で変に甘くいつも嫌だ嫌だといって母を困らせていたとおふくろが言う
裏の竹やぶの中に防空壕を造っていた
夜空襲警報のサイレンが鳴ると防空頭巾をかぶってその壕に入った
おふくろが兄と弟と私を壕の中で抱き寄せ何か祈っていた
少しこわかったけど少しうれしかった
B29の爆音がとうりすぎるのをまった
あの爆音はいまでも聞こえる
あす大人たちはなんかあるらしいと感じていた
その日はなぜかお寺さんにいた
学校が休みだったのかなー
昼頃お寺の広間に大人たちが集まって悲しそうにしていた
家に帰ってその日おふくろが
きょうから夜電気をつけて過ごせると喜んでいた
父はその頃船が爆撃され24時間板一枚につかまって海をさまよっていたと言う
運よく翌年生還した
なぜか母はきょうお父さんは帰ってくる
必ずきょう帰ってくるとその日を待っていた
その夜遅く親戚の人が父が帰ったと驚きながら知らせてきた
いまでもどうして母がそう信じていたのかわからない
(パリ ノートル・ダム 水彩)