アトリエの桜も満開でテーブルを外に出しコーヒーを飲みながら花見を
やった。うぐいすが上手な声で鳴いてくれた。なかなかの演出であった。
今年の桜は伊豆で、上野で、そしてアトリエと3回も愉しんだ。
「三四郎」を読了。
「悼む人」読了。
「それから」
「告白」
「利休にたずねよ」を読み始めるか。
昔から読書の習慣がついていないのが気になって、文学的な素養のなさが
気になってそれがいつしか劣等感につながって、それを取り除こうと努力し
ている傾向がある。教師になってもその劣等感から逃れられずむさぼるよう
に教育書を読んだ。斉藤喜博、マカレンコ、クルプスカヤの全集はすべて読
み切った。他の人より劣っていると思ったから人一倍の実践をしてきた。そし
て並の教師になったかなと思った。
絵を描いていてもアカデミックな教育やエリート教育を受けていないという劣
等感があって、描きまくってきた。デッサンすることを日課にしてずっと続けて
きた。それを積み重ねることで劣等感克服しようといた。
つまり俺は劣等感を感じることでエネルギーを得てきた。そのエネルギーが
努力する源になっていた。それが俺の生き方だったのかと、いま思う。
そんな生き方が結構楽しかったと感じている。
(上野公園の桜)
(アトリエの桜)
(西伊豆の日の出)