神隠し
そのころには春から秋にかけて人はよく狐に化かされた。狐は春の朧月夜が
好きで若い女になって出ることに決まって居た。そして菜の花畑やげんげ田を
御殿に仕立てたり、気がついて見るとお金の代わりに木の葉を持たされて居
たり、石地蔵と話させられたりした。また日中に雨を降らして虹の橋をかけて嫁
入りをしたり、夜更けてから山の尾根に無数の灯をともしたりした。こどもたちは
よくそんな話をよく聞いたり狐を見たりした。
夏から秋にかけての月夜には、狸やむじなに化かされることになって居た。狸
の知識は全国平均で、月夜には腹鼓を打ち、大入道になることに決まっていた。
よっぽど知恵のあるのが、一つ目小僧になるくらいな事であったが、そんなあり
ふれた表現にも、人々はさてとなると無条件で化かされた。
夏の夜にはまたよく人魂が出た。青白い火の玉が尾を引いて宵いの町屋の屋根
の上を飛ぶのを、人々は涼み台の上からよく見た。火の玉はあれよあれよといって
いるうちにふはりふはりと飛んで行った。秋が来ると子供たちはよく神隠しにあった。
暮れには早いその頃には、どこの家でもまだ明るいうちにしとみ戸を下ろて人通り
も疎らな町にはうすら寒い風が吹いた。こんな夕方にはどこの家の子供も遊びか
ら帰ってきて居るのに時々一人帰らぬ子があった。”うちの子はどこに行ったか知ら
しゃんかね”こんな子の母親は心あたりの近所をたずねあるいたが、町中の親類
や心あたりにもいない。そうなると近所の人たちもじっとして居なかった。みな提灯
をともして集まってきた。そして五人七人と組みをつくって、手分けをして子供たち
の遊び場所という場所を捜し歩いた。一組は男堤や女堤か馬の背の山へ、一組は
二本松の頂上へ、一組は行者山から高山へかけて崎谷を囲む山々には狐火のや
うに灯が動いた。そして金盥をたたいて”かよせかよせ”と子供たちの名を呼びなが
ら歩いた。こんな子供はよく野中の石地蔵のそばや山の祠に寝ていたり、里子に
やられた家の小屋の中にいたりした。
が、七十年前の子供たちは今からすればたわいもない滑稽としか思はれないこ
んな事柄の中で育てられた。子供たちはこんなことを全部信じたわけではなく、むし
ろ疑っていたのだといってよかった。歴史は前のものを否定したものがまた否定され
がら歩いていく。しかし形は変わっても本質を変えないその時の姿を、吾らは伝統
と言って居る。
昔の人たちは刈萱や吾亦紅のやうな侘しい野草に切ない情感の実態を示したが、
このころの人たちにはこんなものはほとんど顧みられなくなった。然しこんな素原の
美は何かの姿で、吾等の中から消え去っては居ない。
狐や狸のお化けなどだって、所を変えて生き残っているのに違いない。子供たち
への漫画がそれでなかったらなんであろう。子供たちはこんなお化けがまことしや
かに話されたころ生まれ合わせたのはなんといっても素晴らしいことであった。それ
は永い世代人々を育てたこんな幻想の花畑を、彼等も亦歩いてきたことが無意味
ではなかっからである。
(完)
河井寛治郎著 「六十年前の今」より