小学校3年生から始めた書道は自分で言うのもなんだけどほんとによくやった、と言うよりとことんのめりこんだって感じである。担任の先生が熱心で放課後よく教えてくれたし静岡大の通信講座は3年間受けた。毎月課題のお手本を見てお清書を1枚送って採点してもらう教育である。1枚のお清書が出来なくて昼8時間、夜数時間、それでも気に入るのが出来なくて朝起こしてもらって書いた。それも冬。おふくろさんに起こしてもらって火鉢で手をあぶって温め墨をすって畳の上に正座して書いた。なんでそんなにやったのか、気に入らないとダメだったんだろうけどどうしてそんなに凝ったのかいまでも分からない。小さい時からそんな性分というかまけずぎらいだったんだんなーと思う。静岡大の友井皇村先生からずっと続けていきなさいと言われなんとなく書家になるのかなーと思ったこともあったのだが、子ども心に白と黒の世界はいやだと反発したことを覚えている。それより色を使う絵をやりたいとおもっていた。勉強より遊ぶ方が忙しくて周りにはそんな仲間が多かった。絵は勝手に描いて遊んでいたのだろう。小学校の時作ったこいのぼりを買っていった人もいた。教科書の隅っこに漫画を描いて少しづつ位置を変えて描いてぱらぱらページをくくるとその描いた漫画が動くのだ。今で言えば動く漫画、アニメをやっていたのである。中学高校時代は親戚やお店に来るお客さんたちの家族の肖像画を描かされてお小遣いをもらったりしていた。こんなところがいまの絵画の道に迷い込んでいる己の原点なのかもしれないね。おれの人生って単純なもんだなー。
先日倉庫を整理していたら高校時代に描いていたのが1枚残っていた。これはグレースケリー、モナコの妃になった映画女優。なんでこんなの残していたんだろうね。